東京農業大学常磐松クラブ OBの活躍 「出会いと私の陸上競技人生」 講演者・高橋和則氏

「出会いと私の陸上競技人生」 講演者・高橋和則氏

「出会いと私の陸上競技人生」 

●高橋 和則(たかはし・かずのり)東京農大のOB 昭和58年卒業広島県生まれ63歳 西条農高出身 東京農大→住金鹿島にて競歩選手として活躍。選手として 「第67回日本選手権男子50㎞競歩優勝」。指導者として「平成10年度日本陸上競技連盟平沼賞受賞」「平成25年度日本陸上競技連盟競技者育成賞受賞」。世界で活躍できる競歩選手の育成をはじめ、長距離ランナーの筋力のバランスとリカバリーを指導。多くの選手の故障からの復活を手掛ける。「故障しない選手を作る」を目標とし、全国に門下生を育てている。

競歩との出会い
東京農大入学時はマネージャーとして入部。一年次の11月28日陸上部部長高橋重清氏より競歩を進められ選手とマネージャーとの兼任となる。

競歩の基礎を学ぶ
日大文理に出向き森川氏に師事 日大グランドにて日大・明大との合同練習。
1年次、元旦競歩にて学生4位となり競技に目覚める。

競技継続のピンチに救いの手
日大グランド内での投擲ハンマーの事故により他学の選手を排除。練習基盤を失う。途方に暮れる中、恩師・農大高橋重清氏が「農大グランドでやれ」長距離男子が外部での練習中のグランドの使用を許可。救われる。継続可能となり、明大・日大・国士館大等の合同練習再開。後にバルセロナ五輪代表園原健弘選手(明治大学→アシックス)も農大で汗を流す。青柳・野村・西出・長内・片貝・鳥谷部の農大選手が続き、切磋琢磨する時代。

限りある練習環境の中で生まれた練習方法と思いがけぬ成果
前述、日大文理の森川氏の±1秒「30㎞競歩ペースウオーク」を体に叩き込む。大学2年次、9月日本選手権30㎞ 2位 学生が1~4位を独占陸連より海外遠征の要請→イタリア・ドイツ他を経験。選手として海外での栄養管理の大切さを学ぶ。

住金鹿島での新たな練習方法
東京・順天高校の梨本氏が住金鹿島の監督となり、「チームの中心となってくれ」との勧誘を受け実業団選手の道へ。限られた練習時間・限られた場所での練習。「時間が限られているならば倍動かせ」「歩幅半分ピッチを倍動かせ」「箱根の山登りを競歩でやれ」ヒィー。恵まれない環境だからこそ、多彩な練習方法を生み出すことができた。

競歩の可能性・選手育成・長距離選手の再生の未来にかける
多くの経験を経て、自身を生かしてくれた恩師への感謝の思いから、選手育成のための合宿所を作り全国より選手を預かり合宿を実施。『体幹を鍛え身体の基礎をつくる』を第一に『故障をしない選手をつくる』を目標としている。

全国からの要請
高校駅伝の名門・佐賀鳥栖工業の監督 古川昌道氏からの要請を受け4人の選手を預かるとインターハイにて7位入賞。監督は選手を生かすため、選手は自身の選手生命をかけ、まずは下肢の前の筋肉と後ろの筋肉をバランスよく鍛えることが大事と高橋氏は熱く語る。鳥栖工業は低迷した選手に競歩を奨励する。顕著な結果が出る。安川電機 28歳 古賀淳紫選手だ。(鳥栖工業→安川電機)高校1年次5000m16分台の選手、夏合宿競歩の指導を体験。その合宿後からなんと14分台へと飛躍、長距離選手として復活。現在のベストタイム5000m13分39秒43。穏やかでにこやかなその姿の奥に秘めた思いに取り巻く環境と人が動かされる。門下生のこれからの活躍と指導を楽しみに。日本の競歩と長距離界の未来が動く。

(令和6年3月23日常磐松クラブ総会講演にて)

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